MLSのオーナーを追う!~Seattle Sounders FC ポール・アレン(前編)~

皆さんは、サッカークラブのオーナーになりたいと思った事はありませんか?

サッカークラブのオーナーとは、一体どんな人が務めているのか、疑問に思った事はありませんか?

このコーナーでは、現在アメリカで多くのファンを魅了する存在であるMLSクラブのオーナーを紹介していきます。

第一弾となる今回は、MLSで今最も勢いのあるクラブ、Seattle Sounders FCです。

(引用元 Forbes)
(引用元 Forbes)

ポール・アレン氏(以下アレン氏)。世界最大のコンピューター・ソフトウェア会社として知られるマイクロソフトの共同創業者である彼こそが、Seattle Soudners FC のオーナーです(正確には共同オーナー)。アレン氏は、2014年時点でおよそ117億円の準資産を保持しており、世界で55番目の資産家とされています。

 

アレン氏は、1953年にアメリカ合衆国・ワシントン州・シアトルで生まれました。幼い頃からコンピュータに興味を持ち、中学校の時には仲の良かった3歳年下の友人と、コンピュータに対する熱い想いを話し合うようになります。この友人こそが、将来、アレン氏と共にマイクロソフトを立ち上げるビル・ゲイツ氏です。彼らのコンピュータに対する興味は、通学していたレイクサイド中学に導入されたDEC社(1957年に設立されたアメリカを代表するコンピュータ企業の一つ)のコンピュータを使用することで、日に日に増していきました。

 

アレン氏は高校卒業後、ワシントン州立大学へ進学しましたが、大学入学からわずか2年後、プログラマーとしてアメリカの多国籍企業Honeywell(1886年設立。電子制限システムや自動化機器の製造販売を行う多国籍企業)で働くため、大学を中退します。向かった先はマサチューセッツ州ボストン、あのビル・ゲイツがいる都市でした。

 

アレン氏は、当時ハーバード大学に通っていたビル・ゲイツ氏を説得し、大学を中退させます。全ては、2人で起業すること、、マイクロソフトを設立することでした。そして1975年、アレン氏は22歳という若さでビル・ゲイツ氏と共にマイクロソフトを設立します。

 

マイクロソフトはBASICインプリンタの販売をはじめ、大手企業であるシアトル・コンピュータ・プロダクツ社とのビジネスなど、着々と成長の基盤を築いていきました’。

 

しかし1982年、アレン氏はホジキン病(悪性リンパ腫)に侵され、マイクロソフトから一時的に退きます。病気は数ヶ月で完治しましたが、1990年に復帰するも、2000年11月には正式にマイクロソフトから辞職します。マイクロソフトを辞職した理由に関して、アレン氏は自身の著書、「ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト」の中で、こんな事を書いています。

 

ボストンで(ビル・ゲイツと)一緒にビジネスを始めた頃には、私たちの立場は対等だと思っていたし、これからもずっとそうだと思っていた。利益があれば、常に半々に分けるものだと思っていたのだ。だが、ビルの考えは違った。「半々はおかしいよ」彼はそう言った。「ボストンにいた時、僕はほとんど何ももらわずに、BASICのコードの大部分を書いていたんだよ。僕のほうが多くもらわないと合わない。六対四にすべきだ」   (147ページ、第7章「MITS」より)

                                                    

共同創業者であるビル・ゲイツとの個性の違いが、アレン氏をマイクロソフトから遠ざけていきました。

しかしここから、アイディアマンと呼ばれるアレン氏の想像力に富むアイディアが、世界を変えていく事になります。

 

続きは、次回のアメリカサッカーニュースをご覧下さい。

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