
サンディエゴのサッカー界が活発的な動きを見せている。11月28日(月)、米国サッカーリーグ4部にあたるUSL PDL(以下PDL)は、来季2017年より、サンディエゴから新たなクラブがリーグに参戦するとの発表をした。クラブ名は未定。クラブのオーナーグループには、全米でもその名を馳せるサンディエゴのユースアカデミー”サンディエゴ・サーフ・サッカー・クラブ(以下SDサーフ)”と、今季までPDLの下部リーグに所属していた”ノース・カウンティ・バタリオン(以下バタリオン)”が名を連ねた。SDサーフといえば、1998年から活動し、現在では、小学生から高校生までの男女延べ1,000人のアカデミー生を抱える、言わばサンディエゴサッカー界の雄。一方のバタリオンも、90年代にサンディエゴのプロサッカー界を代表し、毎試合2,500人以上の観客動員を誇った”サンディエゴ・フラッシュ(以下SDフラッシュ)”の後釜クラブとあり、名は通っている。どちらも、サンディエゴサッカー界の成長を支えた、名誉あるクラブだ。そんな両クラブが、なぜ18年の時を経た今このタイミングで、4部PDLへの加盟に踏み切ったのか。近年のサンディエゴサッカー界の目まぐるしい動きに見える一つのクラブ。渦の中心には”サンディエゴ・ゼストFC”がいる。
サンディエゴに存在した2つのプロサッカークラブ
そもそも、サンディエゴはサッカーの地として知られていた。1998年から2001年までの4年間、SDフラッシュはサンディエゴを代表するプロサッカークラブとして、サンディエゴに活気をもたらしていた。クラブは創設から2年連続でパシフィックリーグの王者に輝き、平均観客動員数は3,000人超を記録した。全米のプロアマ全クラブが出場資格を得るUSオープンカップでは、当時から20,000人以上の観客動員数を誇っていたLAギャラクシーとも対戦。クラブ創設からわずか3年目にして、観客動員数は過去最多の6,000人を記録。順調なスタートだった。のはずだったが、クラブ運営はそう簡単ではない。クラブは2001年シーズンを最後に、財力の乏しさを理由に解散を余儀なくされた。
サンディエゴに沈黙が流れたのも束の間。SDフラッシュの解散を予知していたかの如く、2002年にはサンディエゴ史上2つ目のプロサッカークラブが誕生する。サンディエゴ・ガウチョズ(以下SDガウチョズ)と名付けられたクラブは、2004年までの3年間をUSL PRO(現在のUSL)でプレー。SDガウチョズは、後に米国代表として2010年のW杯に出場するハーキュリーズ・ゴメス等を中心に、3年で2度のプレーオフ進出を果たした。しかしこちらも、2004年に解散してしまう。その後のサンディエゴのサッカーと言えば、草サッカークラブがちらほら現れる程度。かつての活気はどこに行ったのか。気付けば10年が経っていた。
サンディエゴが抱えていたプロサッカーに対する期待と不安
均衡を破ったのは、しがらみの無い日本からのサムライクラブ
人々は恐れていた。サンディエゴのプロサッカーが残した成功と失敗。ポテンシャルはあるものの、長続きしない現実。その間にも高騰していく各リーグの加盟金。時間が経てば経つほど、鉛のように重くなっていくその足は、前に踏み出すことができず行き場を探していた。草サッカーを盛り上げることが精一杯だったサンディエゴのサッカー界は、どこか無様であり、寂しくもあった。
2016年1月、あるクラブの誕生がサンディエゴに変化をもたらす。サンディエゴゼストFC(以下ゼストFC)。日系企業により運営されるゼストFCは、サンディエゴでは10年間誰も手を出すことができなかった4部PDLにクラブを創設する。サンディエゴにひしめくトップレベルの学生選手達が集結し、オールサンディエゴとして姿を現したゼストFCは、リーグ戦14試合を8勝1敗5分でサウスウェスト地区準優勝、西海岸地区3位/19 チーム、プレーオフ進出と、下馬評を覆す戦いぶりで全米に衝撃を与えた。ゼストの躍進は瞬く間に全米は勿論、ヨーロッパや南アメリカにまで広まった。
2016年シーズン終了後の今日も世界中からゼストへの入団を希望する選手が後を絶たない。
ゼストFCのホーム試合には、MLSに所属するポートランド・ティンバーズのスカウトが度々足を運び、有望若手選手の発掘に励んだ。日本代表の本田圭佑選手がオーナーとして運営するオーストリア2部のSVホルンがサンディエゴでトライアウトを実施した際には、ゼストFCの主力選手10名を招待。参加者の中で唯一、ゼストFCの心臓部分を担うエリック・ホルト選手(UCLA)が本田氏の目に留まり、個別のインタビューを受けた。7月には、当時J1に所属していたアビスパ福岡と選手の育成における提携を締結させる。20年以上の歴史を誇るPDLにおいて、史上初めてJリーグのクラブと提携したとして、ゼストFCは渦中のクラブとなった。
ゼストFCのことなどは誰も知らなかった。しかし誰も知らないからこそ一目を気にすることなく、本能の赴くままに暴れることができたとも言える。上を目指すならまずはユースから徐々に順を追うべきだ、大規模なユースアカデミーでさえまずはアダルトリーグから始めている、サンディエゴサッカー界のパワーバランスを把握すべき等、そんなしがらみやサンディエゴサッカー界の暗黙の常識など、ゼストFCには一切関係なかった。本当にサンディエゴにとって大切なものは何か。日本人選手がアメリカでの道を切り開くために出来ることは何か?またアメリカの選手をアジア諸国へ送り出す役割、強いては世界中の有望なプレーヤーへのプラットホームとなる役割、それらを考えたとき、日本のサムライ企業に迷いなどはなかった。一年目の成功は、既にこの時点で決まっていたのだ。


ゼストFCが示したサンディエゴのポテンシャル
新たなPDLクラブの誕生へ
ゼストFCの活躍に感化されたクラブがある。2016年にサンディエゴのサッカー界に復帰した、SDフラッシュ改めバタリオンだ。ゼストFCがPDLに入ることと知らずに、バタリオンが2016年に復帰の場として選んだのは、PDLの下部にあたるNPSLだった。NPSLと言えば、社会人の選手達が週末の娯楽のために参加するレクリエーショナルリーグであり、プロを目指す選手が参加する場ではない。NPSLは、リーグの規定がゆるく、コストを掛けずにルールに縛られることなくクラブを運営できる利点がある。そのため、なかには自身のクラブを「プロフェッショナルサッカークラブ」と称するところもある。サッカーに精通しない一般市民にとっては、MLSであろうがNPSLであろうがわかりずらい為(と言うより識別ができないため)、あたかも地元にプロサッカークラブが出来たかの如く、誤魔化しの手法をとり、土台となるユースクラブを絡ませて見せかけは繕う事ができた。しかし、そんな誤魔化しの手法は長く続くはずはない、一年たった今、サンディエゴサッカー界はゼストの躍進と共にPDLの価値とステータスを認識し、これから設立されるUSLやMLSへの期待を膨らませるに至ったのだ。
バタリオンが目指す場所もPDLと再認識した。傍から見れば、NPSLがただの自己満足に過ぎないことは、彼ら自身が最もよく分かっていた。過去にサンディエゴを代表していたプライドもある。サッカー界の肥沃な市場を日系クラブに先入りされた焦りもあるだろう。
ましてやゼストFCの快進撃を間近で見せられ、俄然、闘志に火が付いたに違いない。しかしPDLの加盟金は今や5万ドル(550万円程)にまで膨れ上がっている。PDL平均運営費は10万ドルから12万ドル(1000万から1200万円)
アマチュアクラブでこれだけの資本をつぎ込む覚悟もいる。
1万ドル(110万円程)でNPSLをはじめたクラブにそこまでの資金力はない(嘘か誠か、ゼストFCの成功で味を占めたPDLがバタリオンに安値で歩み寄ったとの噂もサンディエゴには流れているが)。そこでバタリオンが目を付けたのが、サンディエゴのサッカー界の重鎮である、SDサーフだった。SDサーフの名とバックに付く巨大スポンサーは、バタリオンがPDLに参入する上で欠かすことの出来ない要素だった。サンディエゴでの地位奪還を目指し、SDサーフと手を組むことでやっと土俵にたつことができたバタリオン。あれから10年。再びサンディエゴにプロへの兆しが現れた。
サンディエゴが向かう先にあるもの
日本が目を向けるべき理由
全米を代表する巨大ユースアカデミーや強豪大学サッカー部がひしめくサンディエゴ。そんな魅力ある都市に、プロ選手育成リーグとなるPDLクラブが遂に誕生した。それも2つ。これが一つでは殿様状態に陥る傾向がある。しかし2つとなれば、ライバルとして、お互い相手には負けまいと、より一層磨きをかけることに励む。この相乗効果がプロクラブ誕生への鍵を握るのである。10年後のサンディエゴサッカー界の姿は、良い意味で想像するだけでも恐ろしい。間違いなくMLSは誕生し、間違いなくUSLは誕生する。それによってPDLクラブの価値は今よりも遥かに増し、より投資の対象として目を付ける人間が現れてくるだろう。そんな市場の中心地に本陣を構えた日系クラブ、サンディエゴゼストFC。彼らが発信するメッセージとは何なのか、なぜアメリカの地で日系クラブがサムライ魂を忘れずにサッカークラブの運営に注力するのか、なぜ大金をはたいてまでPDLにこだわったのか。それらを考えれば、なぜ日本がアメリカに目を向けるべきなのかが、自然と見えてくる。
サッカー=ヨーロッパという時代はそう長くは続かない。人々が求めるものはその先にある。その先にあるものとは何なのか。気付くのが10年後では時すでに遅しであることに、是非気付いて頂きたい。
また、ゼストFCは既に当たらな挑戦プロジェクトを2017年、2018年と抱えている。
ゼストFCがオンリーワンの存在であれる秘訣はシンプルだ。
誰よりも先に、誰よりも早く、新しい漁場を探し出し、船を出すからだ。
